第4話 束の間の休息

月で一番大きな歓楽街へ出かける者、家族の元へ帰る者、休日の過し方はそれぞれである。

 だが俺には行きたいところも特に無かった。

 長距離航海の予定もなく、物資の買い出しも必要ない。

 加えて唯一の寝床とも言える艦内に留まることを禁止されてしまっている。

 そのためこの2日間をどうやって過ごすか、特に寝床の確保が目下の課題であった。

 月都市は直径30キロメートルはあろう透明なドー厶屋根の中に建設されている。

 そのため太陽に当たらない時間はとても寒く夜になると氷点下の日もあるほどだ。

 そんな場所で野宿をしたくはないというのが一般的な考えだろう。

 特に用事は無いが、月で一番栄えている街『月府』へと向かうことにした。

 月府であれば事前予約の必要のない宿や24時間営業している店も数多くあるため、夜を外で過ごす心配も無い。

 月基地近くに停まる鉄道へと乗り、俺は月府へと向かう。

 車窓からは青い星が見えている。

 月の各都市から天頂に常に見える星、俺達が火星との戦いで守る星、地球である。

 月は地球を守るための前哨基地に始まり、造船所等の軍需産業とそれを支える労働者が数多く進出した。

 それに加えて労働者の家族や商店等が後から進出し、今では月全体で1億人程の人口、1つの国家程度の人口を有している。

 火星との戦いの最前線にも関わらずだ。

 月基地付近で防衛戦となる場合は月の裏側、地球から見えない面での戦いとなる。

 戦いが見えないのは月の住人もまた同様である。

 兵士でなければ戦いの様子を直接見ること、知ることはできないのである。

 火星との戦いとは、言わば噂で聞いた別世界の出来事である。

 彼ら彼女らはこの月が、月基地が陥落するとは微塵も思ってもいないだろう。

 どれだけの兵士が死んでもそれは統計でしかない。

 地球にも月にも痛くも痒くもない。

 むしろ限られた鉱物資源である艦の損失の方が手痛いのである。

(火星の人も侵略されるとは思っていないのだろうか……)

 青い巨大な星を眺めているうちに月府へと到着した。

 月最大の人工都市月府はニューヨークを彷彿とさせる高層ビルがいくつも伸び、地下には地下鉄が張り巡らされている。

 戦争をしているとは思えないほど、街は活気に溢れていた。

 ビルの外壁のテレビ放送は先刻行われた月防衛戦の勝利の話が延々と流されている。

 だが月府の街は勝利に歓喜していなかった。

 通り過ぎる人々はスポーツの結果や芸能ゴシップ、身近な人の恋愛話や悪口で盛り上がっている。

 彼らは生活のために働き、趣味を楽しみ、コーヒーを片手にくつろいでいるのである。

 誰も戦争のニュースには目もくれなかった。

(まただ……)

 俺はいつだって疎外感を感じていた。

 地球市民が俺の仕事に無関心なこの様子が嫌いだった。

 何故昨日戦争があったのに誰も話題にしないのか。

(負けてたら、月は占領されているんだぞ)

 誰が敵艦隊を撃退したかなんて関係ない。

 護られて当たり前、負ける可能性について誰も考えてもいない。

 歩道のテラスでは昼食を楽しむ男女がそこら中で見られる。

 俺はお腹が空いていることを思い出し、手頃な物が無いか辺りを見回す。

 ちょうど先の角にコンビニエンスストアがあった。

 コンビニの中には新鮮な果物や野菜が並び、店内手作と書かれたサンドイッチも置いてあった。

 俺はサンドイッチを手に取る。

 レタスとハムが挟まれたオーソドックスなサンドイッチである。

 だが俺はサンドイッチを見て目眩がした。

 物は全て新鮮、物資に不足はない。

 とても良いことだ。

 戦争下に置いて、平時と何ら変わらない生活が出来るのはとても良いことだ。

 全ての兵士はそう思うだろう。

 だが俺にはそのようには思えなかった。

 どんなに頑張っても、成果をあげても、その努力も結果も誰にも認められないように思えた。

 地球にはいくらでも余力があるのだ。

 まだまだ決して追い込まれてはいない。

 俺の目の前には終わりのない消耗戦争がある。

 豊かに暮らす人々、豊富な食料は地球も月も関係なく生産され届けられている。

 一体この火星と地球の戦争は何のためにやっているのだろうか。

 一体どうして地球は火星を倒すのに全力を出さないんだ。

(俺は毎日苦労をして……明日死ぬかもしれないというのに!)

 俺は器の小さな男なのだろうか……

 何のために戦争をしているのだろうか……

 そう自問自答を繰り返しながら街を彷徨っていた。

 皆平穏に暮らしている。

 当たり前のようにレストランで食事し、当たり前のように映画を見る。

 どこへ行っても月府には当たり前の日常しかなかった。

 俺はできるだけ周りを見ないように下を向いて歩くことにした。

 周囲を見れば見るほど自分が惨めな思いをするような気がしたからだ。

 歩いていると街は幾分か静かになった。

 どうやら行政の集まる区域に来たらしい。

 先程の様な飲食店や雑居ビルのような歓楽街は姿を消し、国連のオフィスや警察署、総合病院が周囲にあった。

 その中でも総合病院は慌ただしかった。

(大きな事故でもあったのか?)

 休日であるが何か手伝えることもあるかもしれない。

 俺は自分自身に言い訳をしつつ、様子を伺いに病院へ向かう。

 院内は人で溢れていた。

 負傷者を載せたストレッチャーや空のストレッチャーが、看護師の手によってひっきりなしに廊下を走っている。

「あの、何か事故でもあったんですか?」

 俺は受付カウンターで慌ただしく仕事をしている女性へ声をかける。

「事故? そうね、これは事故みたいなものね」

 受付の女性はため息交じりに答える。

「ここに運ばれてきているのは火星との戦争で負傷した兵たちよ。普段は負傷兵なんて一切いないのに、一体どうしたのかしら」

「普段負傷兵はいないだって? 戦争はずっと続いているじゃないか!」

「そうね、戦争は100年続いているわ。でもその間負傷兵なんていなかった。人道に配慮した騎士道精神に溢れた、素晴らしい戦争だったのよ」

 俺にとって女性の返事は衝撃だった。

 受付の女性は戦争を美化しているのか、そういう教育の賜物なのか、いずれにせよ戦争の最前線を見たことが無いことは明らかだった。

 俺は街に居続けることが嫌になり、気が付けば月基地への帰路についていた。

 休息の命令違反と咎められようが、その程度もはやどうでも良い事だった。

 月基地へ戻ると俺は提督を探し、月府での出来事を話した。

「なるほど……そんなことがあったのか……」

 提督はゆっくりと上を見ながらつぶやいた。

「負傷兵は確かに存在しなかったな」

「どうしてですか、今まで基地内病院で対処できていたのに、今回だけ特別な事情があったとか――」

 俺が全てを言い終わる前に提督は深く深呼吸をすると首を横に振りながら、まるで俺が理解していないとばかりに答える。

「そうではない。基地内の病院も余力がある」

「今まではな、艦が沈む場合の生存率は0%……誰も生きて故郷の土は踏めなかったんだ」

 被弾すれば宇宙空間で爆発するんだ当然だろう、と提督は半ば自嘲気味に話す。

「それがアドミラル級によって、被弾しても生きて帰れるようになったのだ」

「――結果先の戦いで初めて、宇宙での戦闘で初めて負傷兵という概念が生まれたのだ」

 負傷兵が居なかったのは負傷者が出ない戦いをしていたわけではない。

 全員戦没していたのだ。

「ようやく理解いたしました、なぜ負傷者が居なかったのか」

 それでもまだ理解できないこともある。

 なぜ受付の女性は戦争を美化するような口調だったのか、戦争そのものに対して肯定的なのか。

(負傷兵が居なくとも、戦死者はいるはず……)

 俺は提督に一礼すると提督の執務室を後にしようとするが呼び止められた。

「今日も自分の部屋で休むと良い」

「提督、それは命令違反では――」

「確かにそうだな、では休息時基地内に滞在した罰として、明日一日基地内謹慎処分とする」

 提督の顔には笑みが浮かんでいた。

 提督からの厳罰を得た俺は、明日一日命令通りに基地内謹慎処分となる。

 俺はその事を心の中で何度も呟きながら自室へと戻っていった。

 

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